2013.12.26 三浦敏彦君の報告
 

誠に悲しいお知らせです 高校A組 新原甚一さんが23日にお亡くなりになりました     合掌
葬儀式次第
喪主  新原雅晴(実弟)
通夜  24日 午後6時より
告別式 25日 午前10時45分より
葬儀会場 夙川 平安祭典会館  西宮市郷免町 3-17

 
23日朝9時ころ とても穏やかな最期だったとのこと(従兄弟談) 詳しい 死因は聴かずじまいです
遺影は3ヶ月前にプロカメラマンが撮影 糖尿病由来で 数度に亘る両足の切断手術を乗り切り、 今年は顔色も優れ、ビールも許可されていたようですが・・・ 甚ちゃんの死顔は綺麗そのもので、 呼びかけたら直ぐ返事が帰ってくるような安らかなお顔でした(^^)
甚ちゃんがよく自慢してた弟(23年生まれ 灘 →東大 →朝日新聞) 喪主の新原雅晴さんとは初対面なのに、 通夜式のあと3時間に及ぶ会食歓談になりました (o^-^o) 甚ちゃんと瓜二つといってもいいほどの・・
実に好人物 朝日新聞が大嫌い?な小生でも意外な程のモラリストでした(苦笑)
商船大12期生と甲陽野球部38回生の花輪が両袖を支えてくれました(^^) 藤吉会から1万円のご香料をお供えいたしました
皆様も 御身をご大切になさって、いい年をお迎え下さい
 
三浦様 皆様
この度は電話連絡有難うございました。
お陰様で商船大デッキ・エンジンのクラス幹事にすぐさま連絡が出来ました。 どういう訳か両名には弟さんからの連絡はなかったようでした。
お通夜と告別式のそれぞれに両グループの有志が参集して頂けて甚ちゃんには喜んでもらえたかなと思います。 有難うございました。
中・高・大と同じ屋根の下に暮し、2002年10月卒業35周年(商船大は 4.5年9月卒業)で会った時に、彼に“相当肥え過ぎだ何とかしろ”と 強く云ったのですが、その後も変わりませんでした。 少しでも聞いて貰っておればと残念です。
8月甲陽古希の会の際に再会した時は本当に元気そうでした。 それが急に旅立つことになってしまい、長年の友が居なくなってがっくりです。 3年A組の教室で、彼からコルト・ピースメーカーのモデルガンを借りたこと などが急に想い出されます。 2006年、摂津本山に見舞ったときからずっと、“わしは3日前に入院した ところなのに、岡村お前よくここが判ったな”と言われ続けてきました。
人生の1割強を病と闘って来て、普通ならば長い闘病生活と落ち込む ことでしょうが、彼にとってはわずか数日の苦悩だったと思いたいです。 天国で楕円の球を追いかけて走り回ってください、合掌。
                                      13-12-26 岡村 幸彦